あらさばいぶる

サバイバルな日常と戦うアラサー女のバイブル。

愚痴を言えるのは才能の1つ

悩みは誰かに言ったほうがストレスをためこまず、自分を壊さなくてすむ。

 

というのは理解できる。

 

だけれども、

普段から自分の思っていることを誰かに伝える練習をしていないと

吐き出したほうがいいカタマリを抱えていると分かっていても

外に出すことはできない。

 

自分の感情を言葉にするやり方がわからないのだ。

 

自分の思いを外に出そうとして初めて

自分は愚痴を言わないのではなく、言えないのだと気づく。

 

 

スラスラと愚痴を言えるのは、練習のタマモノ。

小さい頃から感情を言葉にしてきた結果だ。

そのおかげで、大人になってからストレスをためこまずにすんでいるのだからすごいスキルだ。

 

 

つまり、悩みを誰かに打ち明けるには、小さい頃からの練習の積み重ねが必要なのだ。

突然できるようになるわけではないし、誰にも簡単にできることではない。

 

 

***

 

 

悩みや愚痴を言える人と言えない人の違いは、

小さい頃、親に言動を受け止めてもらえたかどうかの違いだと思う。

 

 

思いついたことを口に出して

受け止めてもらえたら、嬉しくなって同じことを繰り返す。

バカにされたり否定されたりしたら、「意味のあることを言わなければ」と考えてからしか物を言えなくなる。

 

 

この時点で、場数に大きな違いが出る。

表現に場数はつきもの。

自分の想像だけでぐるぐるシミュレーションしても限界があるし、考えているうちに自分と他者とのスキル差がこわくなって表現できなくなってしまうから。

 

 

実践を重ねなければ、言い方がつかめるようにはならない。

 

 

 

思いを言葉にできる人は、何を考えているか分かりやすく、安心感を与える。

周りに人が集まりやすく、さらに表現の機会が増える。

 

 

思いを言葉にできない人は、何を考えているか分からないと怖がられ、警戒されやすい。

警戒されるといじめの標的にされやすく、さらに自分の感情を内側にためこんでしまう。

 

 

思いを口に出すスキルの差はますます広がり、

社会人になって初めて『愚痴や悩みを吐き出しましょう』と言われたところで、

やり方が分からないし、なぜ他の人たちができるのかも分からなくて苦しむことになる。

 

 

***

 

社会人になるまで、愚痴を言えないことに気づかない原因は

『愚痴を言わないことが美徳とされる』文化にあると思う。

 

 

愚痴を言わないことが美しい生き方だとされる場で、

わざわざ愚痴を言う必要がないのだ。

 

 

だから、長年スキルを磨かずにあたためてしまう。

 

 

自分が美しい生き方をしていると思っていたことが、社会に出てからネックになるなんて。

裏切られたような気分にもなる。

 

 

しかしながら、

これからを心地よく生きるためには、練習を重ねていくしかない。

 

親や文化のせいにしていても、生きやすくはならない。

自分でどうにかするしかない。

 

 

30年近く生きているのに3歳児よりも愚痴を言うのが下手かもしれない。

かっこわるくて恥ずかしくても、何度かやってみて感覚をつかんでいくしかないのだ。

 

 

今のは支離滅裂だった。攻撃的すぎた。思っていないことが口から出てしまった。

そんな失敗をしても、案外周りは受け止めてくれる。

 

***

 

悩みや愚痴を人に話せるようになるのはストレス解消のため

だけでなく、他にも大切な目的がある。

 

 

何も言わないことをいいことに人を物のように扱う人がいる。

あることないことを言いふらし、目的のために手段を選ばない人たちだ。

事実をねじまげられ、容赦なく使い捨てようとしてくる。

 

彼らから自分を守るために下手でも思いを表現できるようにしておいたほうがいい。

 

 

表現できない人が表現をしようとすると、過去の認められなかった自分と向き合わなければいけない。

それはとてもつらいことだが、練習を重ねれば乗り越えることはできる。

 

人の心がない人たちのために人生を棒に振らないよう、思いを表現できる人が増えてほしいと切に願う。

 

 

 

 

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