あらさばいぶる

サバイバルな日常と戦うアラサー女のバイブル。

生きる理由を『誰かに必要とされるため』にしてはいけないワケ

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人生とは、生きる理由を探す旅だと思う。

「生きる意味ってなんだろう」とずっと考えてきたけど、『そんなものはない』というのがわたしが行きついた答え。

その『ない』に『理由をつけていく』のが人生。

 

 

わかりやすい理由づけとしては、

誰かに必要とされることで自分の生きる理由にしようとすること。

 

誰かとは、

家族だったり、恋人だったり、友達だったり、仕事だったり。

 

 

手頃だけど危険なやり口である。

なぜなら、依存先を失うと生きる理由も失ってしまうから。

理由の1つとして置いておくぶんにはいいが、すべてを1つに集中させるのは非常に危険。

 

 

分散させずに集中させている人は、自分の存在理由がいつなくなるかわからないという潜在的な危機意識を持っている。

だから、こうあるべきという理想を強く人に押しつけてしまう。

 

 

これが

やたら旦那さんや恋人の家事をやってあげているとアピールする”尽くしちゃん”

だったり、

奥さんが外で働かないのを会社で”愚痴るくん” 

を生む構造である。

 

 

彼らは、相手からできることを奪うことで安心している。

そして、自分の家庭(環境)だけで完結するのではなく、他の家庭(環境)もそうであってほしいと願う。

そうでないと、自分の存在が危ぶまれるから。

 

 

だから男はこうあるべき、女はこうあるべきの役割分担から抜け出せない。

役割分担は、存在理由になる。

型にはまっておくだけで、安心するのだ。

 

その考え方で、

家事はほどほどにバリバリ仕事をしている女性に出会うと

自分の存在価値が否定されているようで不安になる。

 

 

不安になった彼らが起こす行動は、他人の家庭・生活への口出し。

自分で自分を否定するのが怖くて、目の前の価値観が違う人を否定してしまう。

 

 

本来するべきなのは、矢印を外に向けるのではなく、自分に向けること。

 

自分と向き合って話をする。

自分のパートナーと向き合って話をする。

 

不満があるなら、話をしてすり合わせをしないといけない。

これをしないで逃げ続けるのは、役割を失うことで存在理由をなくすのが怖いから。

相手から奪う考えは、いつか2人の関係性に亀裂を生み、自分自身もしばってしまう。

 

 

そのことに気づかず、同じカテゴリーの人と愚痴を言い合っているだけだと、いつのまにか生きづらくなっている。

 

 

***

 

存在理由は、誰かではなく自分にあると楽になるものだ。

 

自分を楽しむことを理由にする。

成長を楽しんだり、感性を表現したり。

 

自分を喜ばせるのもじゅうぶん生きる理由になるし、失う怖さもないから余裕が出る。

 

 

 

 

 

仕事がおわってもなんとなく家に居づらいから、コンビニで立ち読みをしてから帰る

なんていうつまらない人生を送ることにならないよう、

自分の人生を楽しめる人が増えるといいですね。